しょんぼり技術メモ

まいにちがしょんぼり

脳性麻痺の息子が亡くなった

2017年に脳性麻痺で生まれてきて、ずっと寝たきりで人工呼吸器を付けていた息子が、2022年11月に亡くなりました。 遺族としてのいろいろな整理はある程度付いてきたので、良くも悪くも忘れる前に記録を残しておきたい。主に自分の中での整理のために。

就学義務の免除申請

2017年2月生まれの息子は、来る2023年4月に小学校に入学するはずだった。 もちろん生まれてこの方意識と呼べるものが宿らなかったので、市役所と相談して就学義務の延長という申請を行う予定だった。 寝たきりの子の場合であっても、訪問学級のような形で対応してもらうのが基本とのことだったので多少揉めたが、最終的には 主治医に診断書を書いてもらい、就学を延期するような方針としていた。訪問学級を拒否したのは、親としてその姿を見るのが辛かったという理由による。

最期の入院

2022年は2月から始まり、毎月のように入院したり救急外来を受診したりしていた。そのたびに「本人の、予備力とでも言うようなものを消耗している」ような話を主治医としていた。 11月の頭にも体調が悪化し、小児ICU(PICU)へ入院となった。容態は思っていた以上に悪く、病床に余裕がないながらも親族みんなが面会できるような個室を調整してもらった。急いで実家の両親に来てもらい、生前最後の記念写真を撮った。ついでにiPhone 12 ProのLiDAR機能を使ってベッドと本人を3Dスキャンをさせてもらった。

最期の連絡

入院後はいったん体調を立て直すも、やはり限界が来ていたようだった。深夜3時すぎに病院から連絡があった。取り急ぎPICUへ向かったが、心拍はゼロを示していて全てを悟った。両親揃ってからの死亡診断とするかを主治医に聞かれたので、現時点で診断してもらって構わない旨を伝えた。呼吸器のホースを自分で外し、死亡の診断を下してもらっていったん帰宅。

最期の帰宅

自宅に戻り、通院用のバギーなどを準備して妻とともに病院へ。その間にエンゼルケアを済ませてもらっていたので、再会したときには顔も身体もさっぱりしていた。 考えてみれば、鼻や口、首になにもついていない姿というのは緊急帝王切開の直後以来ということになる。それ以降は気管挿管されていたり、気管切開して首にカニューレが付いていたりしていた。 呼吸器もパルスオキシメータも繋がっていない息子を抱っこしてからバギーに乗せ、いつも通りの静かな帰宅となった。

直葬の準備

入院した段階から葬儀屋の目処は付けていたので連絡し、とりあえずドライアイスを持ってきてもらった。 詳しい相談や追加のドライアイスはあとでもう一度、とのことだった。死亡届を預けて市役所に出してもらい、火葬の手配を依頼した。 お世話になっていた訪問看護ステーションに連絡を入れたところ、挨拶に来たいとのことだったのでいつでも構わない旨を伝えたりした。 結果的にはほぼ全ての訪問看護さん・訪問リハさんが顔を見に来てくれた。

川の字の生活

火葬は2日後となったので、二晩を共に過ごすこととなった。良心がヘルプに来てくれている関係もあり寝床の調整が大変だったが、家族みんなで川のような字の形で寝ることができた。機材の関係で生前には難しかったことが、亡くなると容易に実現可能となるのが嬉しくて悲しかった。

火葬と葬儀

2日後、直葬と言うことで葬儀をスキップして荼毘に付した。骨壷とともに帰宅し、ひとまず一段落となった。 遺骨についてはどうするか検討を重ね、最終的には「遺骨からダイヤモンドを作るサービスを使うが、ごく一部を自分の実家に納骨」という形を取った。四十九日前に実家に戻り、菩提寺で四十九日法要とともに納骨してもらった。(ついでに葬儀相当の内容も含めた法要としてくれたらしい) とはいえ大半の遺骨は再び持ち帰り、後日ダイヤモンドを作るサービスに引き渡している。我ながら弔いの建て付けが曖昧だと思った。

事務手続き: 役所系・障害児関係

人が死ぬと手続きに忙殺されるのは覚悟していたが、こと障害児となるとなおのことだった。覚えている限りで列挙しておくが、自治体によって異なると思うので素直に「どうしたらいいですか」と聞いて回るのが早いと思う。

  • 障害児福祉手当(本人への給付)
  • 特別児童扶養手当(両親への給付)
  • 障害者手帳の返納
    • 形見として持っておけないか相談したが返納が必要とのことだった。写真部分だけ切り取って返すことはできるとのことだったので返してもらった。
  • 児童手当の変更
  • 保育要件の変更
    • 父親が勤務、母親が障害児の看護という理由で保育申請していたが、保育の必要性が変更となったため
    • ひとまず求職活動に変更することを提案されたのでそのように申請した
    • 実際に求職活動もしたが、メンタル的な問題からドクターストップとなり、勤務/療養での保育申請となっている
  • 水道料金減免申請の変更
    • 減免申請したことすら忘れていた
  • 障害者用おむつの補助の停止
    • 納品待ちの状態だったので相談したところ、市役所の方から業者に話しが行くとのことだった

なお、マイナンバーカードは返却の必要はないし、マイナンバーが確認できないと確定申告で困るので注意。

申請のついでに、相続に備えて住民票の写しと除票を入手しておくとよい。 前者はコンビニで取れるが後者はおそらく窓口での申請となる。

事務手続き: ジュニアNISA

我が家では息子の名義でジュニアNISAを運用していた。楽天証券に問い合わせたところ、 息子から親への相続という手続きになるとのこと。

www.rakuten-sec.co.jp

そのため、法定相続情報証明制度に従った準備をしておく。 https://houmukyoku.moj.go.jp/homu/content/001331399.pdf

戸籍謄本が必要となるが、死亡届の提出から反映まで2週間ほどかかるので要注意。 自治体によってはコンビニで取得できるので、その間に準備しておくとよい。

今回の場合、戸籍謄本1通で「結婚して戸籍作成→子供が生まれる→子供が亡くなる」の一連の内容が確認できるので、 除籍謄本は必要ないとのことだった。被相続人(亡くなった息子)と相続人(両親)が記載されているので、 戸籍に関しては謄本だけでOKとのこと。

登記所に相談し(「お子さんに相続が必要な財産が…?」と驚かれた)てから郵送。しばらくすると法定相続情報一覧図と書類が返送されてくる。 これを使って楽天証券の相続手続きを進める。

なお、自分の場合はジュニアNISAで運用していた商品が含み損状態だったのだが、相続実施日の価格で売却され、自分の楽天証券の特定口座に入金される形となった。悲しみが加速した。当然ながら損益通算の対象にもならない。 手続きが割と遅かったこともあり、2022年内の売却も間に合わず、買い直しは2023年の自分のNISA枠を消費することとなった。とにかく悲しい。

事務手続き: 産科医療補償制度

産科医療補償制度のコールセンターに電話し、事情を伝えると書類一式が送られてくる。 補償金の受給を息子から両親へ相続する、という手続きとなるらしい。 産科医療補償制度の場合は相続人の関係がほぼ自明ということもあり、戸籍謄本で申請できた(はず)。 手続きを行うと、次回からの補償金振込依頼のフォーマットが変更となるぐらいで、実際のところ大した変化はない。 本人が死亡したところで、補償金は誕生年の20年後まで振り込まれる。仮に親が死んだ場合には、同様に相続されるようだ。

在宅医療用品の返却・片付け

人工呼吸器やパルスオキシメータなどについては、レンタルという形で提供されている。 死亡診断後に主治医の方から業者に連絡があり、しばらくすると引き取り日程の調整連絡がきた。

自分の場合は死亡から約2週間後ぐらいだったので、少しずつ片付けと整理を進めたが、精神的にはこれがかなりしんどかった。 「これを使う人がいなくなるんだ」「これをどかすとこんなに広かったんだ」のようなダメージが積み重なっていく。 さらに言えば、基本的に何かあっても1ヶ月ぐらいは過ごせるように予備を多めに貰っているので、その分整理しなければいけないものも多いため、肉体的にも割としんどいところだった。

医薬品については基本的には手元で処分することとなるが、量が多かったり処分の方法に困る場合には薬局に相談するとよい。 自分の場合は、取扱に注意した方が良さそうなものがいくつかあったのと、息子のためだけに確保してくれていそうな薬剤がいくつかあったので、 処分の依頼と一緒に「亡くなったので今後の仕入れは不要となります、いままでお世話になりました」の挨拶をした。

バギーや吸引器など、買ったものについては自分でなんとかすることになる。 バギーは畳んでしまっておき、吸引器は鼻風邪のたびに活躍することとなった。

税金方面の話

障害者手帳を交付されている場合、特別同居障害者控除という枠がある。76万円の控除であり非常にありがたい制度である。 これについては死亡した年については適用されると考えてよいはず。年末調整や確定申告の際に相談するとよい。

www.nta.go.jp

当然ながら、次の年からはこの76万の控除がなくなるので覚悟が必要となる。財布にも悲しい。

生活方面の話

24時間365日つきっきりで在宅医療に取り組んできた生活から、「そうでない」生活に切り替えるのは肉体的にも精神的にも変化が大きくて大変だった。 こればっかりは時間の力に頼るほかなかったのでいかんともしがたいが、「ああ、もうケアしなくていいんだ」のような「楽だな」といった感情とそれに対する自己嫌悪のようなものとの戦いは特に悩ましいところだった。グリーフケア含め、相談できるところには相談した方が良かったと思う。

あとは、ホームセンターや子供用品の店で「そういえばそろそろアレを補充しなky……もう要らないんだった……」みたいなダメージの受け方をするのがつらかった。

さいごに

この記事が、どこの誰にも役に立たない世界を願っています。